ざつだん コーナー

掲載日 テーマ
2003年11月7日 中国での現地生活から見る中国の深層
2003年10月9日 SARSあわや隔離事件と「喧嘩」(以下の文面を参照)
2003年1月4日 杉田ファミリー?(ヒマな時だけクリック)
2003年1月4日 「伝票屋」に活気あれば、○○も元気?
2003年1月4日 中国のダウン、日本がダウン?
●SARSあわや隔離事件と「喧嘩」
2003年9月から、しばらくは中国広州の住民をしている杉田(中山大学MBAセンター客員教授)です。
広州に住みながら、周辺各地域への出張も頻繁に行っているところだが、SARS問題でヒヤリとさせられることがよくある。
9月25日、出張先の香港から、13時30分のフェリーで次の出張地、蛇口に向かった。14時30分に順調に蛇口に到着しながら、なかなか下船のアナウンスがない。10数分が経って乗客の中国人の群れと乗務員との間で激しい口論が始まった。よく聞くと、香港からの乗船者の内、SARSの症状に似た高熱者がいて、通関・乗船時において香港側がそれを知りながら乗船させた。フェリー側(中国側)はそれを知らずに出航し、到着直前の時点で本人の家族の届けでそれを知り、慌てて中国の公安や検疫当局に連絡した結果、「上陸禁止」とのことで、結局、大騒ぎになった。
16時に蛇口の日系電機メーカーの董事長とアポイントを取っていたために、「こりゃ大変」と思いながらも個人的にはどうにもならず、事態の推移を見守っていた。他の乗客は「飛行機の乗り継ぎがある」とか、「急用がある」とかで、むりやり下船や通関を求め、フェリー側や中国の通関当局と大声で喧嘩していた。「全員香港戻り」か、「中国上陸即隔離」のいずれかを覚悟していたが、中国人乗客たちの激しい抗議の結果、なんと、約1時間後、「これより2週間の滞在先と連絡方法を明記し、届けること」を条件に、めでたく上陸できた。
おかげで、アポイントの電機メーカーに駆け込んだのは16時数分前だった。
例の高熱者は我々の下船前に、衛生当局により救急車でどこかに運ばれて行った。
念のために、高熱者の座席を聞いたが、当方の座席(最前列)とはまったく反対側(最後部)でかなり離れた場所であったので、ひとまず安心した。
一方、隔離されず、下船できたのはありがたいが、このまま、乗船者が中国のあっちこっちに散らばって行くのも、なにやら複雑な気持ちだ。高熱者はただの風邪ならよいのだが・・・
SARSと我々現地滞在者とは隣り合わせであること、香港の検疫も、中国の検疫も、厳しいようで、いい加減であること、この結果、SARSが本当に再燃した場合、このままの体制では防げないこと、などを改めてこの体験で認識させられた。
他方、中国の「喧嘩」もなかなかの迫力ものであった。「喧嘩」というより、ある種の「交渉」であり、そのパワーには改めて感心させられた。
なんせ、自分たちが「SARS疑い」でありながら、傲慢の権力者である
公安を相手にして勝つとは・・・
中国での生活や、中国ビジネスにはこのタフな精神力でなければ・・・


杉田俊明研究室
更新 2003/10/09
ライン
トップ・ページ へ