アジア政経学会研究報告要旨


日中経済関係の30

―――ビジネス形態の側面からのアプローチ

杉田俊明(甲南大学)

アジア政経学会全国大会 報告要旨 20021026日於神戸大学
(詳細は下記スライド資料を参照されたい)

 

 本報告は主として日中関係、とりわけ日中経済関係の30年を、経済発展政策や企業発展戦略など、ビジネス形態の側面から回顧し、中国独特なキーワードでアプローチを試みるものである。(以下、「 」内は中国語)

中国にとっての70年代はまさに激動の年代であった。プロレタリアー文化大革命の後期として、「階級闘争」に明け暮れながらも中国は文革の終焉を模索していた。日中国交の回復交渉も含め、自国の経済発展のためにも世界との交流を進めなければという思いが、結果的に78年の「改革開放」に繋がって行った。それまでに「独立自主」「自力更生」を精神的な支柱にしながら実質的に「閉関自守」に強いられていた中国は、70年代末においてようやくイデオロギーの色彩が強い「友好貿易」システムから自由貿易システムに移行し始めた。そして、80年代において繰り広げられた「沿海地区経済発展戦略」と合わせ、「大進大出」「両頭在外」の政策が導入され、「31補」という加工貿易が取り入れられ、対外開放と経済発展の第1段階の成功を中国はひとまず勝ち取った。

 80年代初頭から、とりわけ92年のケ小平氏による「南巡講話」以後、中国は「利用外資」政策をより大胆に展開し、「3資企業」を誘致しながら「引資」から「引制」「引技」「引智」の目的を着実に達成しつつある。そして、90年代の中盤から中国は「境外加工」「帯料加工」を奨励し、海外で加工生産を推し進める段階に入った。さらに、90年代後半からは「走出去」や「跨国経営」「全球化」という段階に中国は邁進し始めているのである。この30年、中国はまさに驚異的なスピードで経済発展を成し遂げ、企業成長を果たしてきている。

 日中国交回復前後において日本は中国との「友好貿易」を積極的に展開し、日中貿易の基盤をある程度築いた。そして、日本の資金や設備、原料優位を生かした「補償貿易」や「来料加工」などで中国を支え、相互の貿易を拡大した。改革開放の進展に伴い、92年以後において日本企業は対中直接投資を加速し、投資を通じて貿易の相互拡大を図ってきた。結果的にここ30年、日中経済関係は飛躍的な発展を成し遂げ、両国は相互依存関係を強めてきた。

 現在、世界の工場、また、世界の強豪として成長してきた中国企業と、いままでに多くの分野において優位にいた日本企業とは、中国国内だけでなく、世界市場においても競争する時代に入った。日本企業は、中国企業とどのように競争をしながらも、それぞれの競争優位を生かし相互補完を行なうことができるのか。新たな相互提携(中国語:「競合関係」⇒競争・合作関係)の時代を、日中両国の企業が迎えようとしている。


研究報告のスライド資料
(学会並びに出席関係者限定資料)

メールTO: toshi.sugita@nifty.com
杉田俊明研究室(甲南大学)
最終更新 2002/10/28
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