国際人応援のコーナー
海外留学珍道中
(留学手記など)

このコーナーは受講生の留学などに関する感想が掲載されています。
特に佐々木さんと河野さんの文はなかなか読み応えがあり、
いまでも読むたびに噴出して笑ってしまいます。
一方、「おいおい、大丈夫か」というようなことや表現もありますが、
実直な体験や素朴な感想であり、個人も国も成熟していきますので、
ここでは原文のまま掲載されています。(プライバシー部分は削除)
学生諸氏の苦楽体験を見守りながらそれぞれの成長を応援し、
我々もここから何かを学ぶようにしましょう。

掲載者一覧
(前半・現役)絹川 / 喜田 / 毛利 //(後半・OBOG)佐々木 / 川野


前半:2017年度後期(秋)から海外に出発した現役ゼミメンバーたちよりの月例報告(抜粋)
*****
ゼミ20 絹川(ドイツ)
2017年9月17日

この2週間の間にドイツはとても寒くなり、服装もダウンジャケットを羽織ってもいいような気候になりました。
また週末は隣町のボンに行ったり、少しケルンから離れてベルリンに旅行に行ったりと、
有意義な時間を過ごすことができました。
しかし、楽しかった旅行とは裏腹に、様々なハプニングも起きました。
ボンに行った際には、有名な土産店で商品を買うときにカードを使って支払いをしたのですが、
そのお店ではカードを自分で差し込んで自分で抜くという方式で、
日本とは少し異なった方法ということもあり、支払い後にカードを抜くことを忘れてしまいました。
そのことに気づいたのは寮に戻ってからだったので、お店に連絡を取ることもできませんでした。
私が忘れてしまったカードはデビッドカードだったので、
すぐ口座の中のお金を全て抜いて、ドイツ人の友人にどうすべきか聞きました。
その友人はとても優しく、翌日に私の代わりにそのお店に電話をしてくれて、お店の人に尋ねてくれました。
カードはお店の人が保管してくれており、無事に自分の手元に戻ってきました。
このようなことはとても危険な状況であったことを十分理解し、反省しています。

*****
ゼミ20 喜田(台湾)
From: 喜田-- [mailto:k--@gmail.com]
Sent: Wednesday, September 27, 2017

今週から華語中心で中国語の授業が始まりました。
日本人3人韓国人2人タイ人2人の7人クラスで1日3時間毎日中国語の授業を受けています
。講義の中で分からなかったところは宿舎に帰ってから毎晩復習するようにしています。
現地人の話すスピードについていけず歯がゆい思いをすることが
多々ありますが焦らず努力を継続していきたいと思います。

*****
ゼミ20 毛利(アメリカ)
From: Mouri-- [mailto:m--@gmail.com]
Sent: Friday, September 29, 2017

@暮らしの様子について
アメリカの慣習であるRush WeekとHomecomingがあり、イベントで賑やかでした。
時折日本語のクラスで現地学生をサポートしています。Asian Students Involvement Association
という今学期新設のアジア系学生のための校内順応促進委員会といった組織に加入しました。

A学習状況について
マーケティング、組織、経済学、情報探索、ライティングの授業を受講しています。
新しい知識を英語で学ぶ状況であり、自身の不甲斐なさに自信を無くすことも
しばしばありますが、内容そのものは大変興味深いものです。

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(後半)OBOG バックナンバー
----- Original Message -----
From: 佐々木
Sent: Monday, October 30, 2000 10:34 PM

ぞぞむの留学体験記
2000年7月29日、いざ中国へ。関空から上海経由で北京へ行き、北京で一泊して
翌日ハルピンに到着。黒龍江大学に向かう小汚いバスの車窓から、草原、田んぼ
と農家の風景が広がっていた。ロバが、荷物とご主人様を運んでいるのが見えた。
40分ぐらい走ったバスはようやく街に到着。街まで出ると、大道路に自動車、
自転車、ロバ、通行人が、行き交っていた。ほこりっぽい空気とバスのごみごみ
した感じが、中国に来たことを実感させてくれた。ついに来てしまった。と言う
のが率直な感想。これから1ヶ月間どんな生活を送るのか不安と期待で一杯だった。

その不安が実感となるまでにそう時間はかからなかった。
当初私の構想では「黒龍江大学の大学生寮は新築で清潔。
冷蔵庫付き。ハルピンは夏でも涼しく避暑地として最適な場所。
市内に出れば東洋のパリと謳われる町並みが今も残されているおしゃれな街。」
このような環境の中で私はロシア人や
韓国人と共に、標準語に極めて近いきれいな中国語(普通話)を身に付けるはずだった。
1日目は口頭によるクラス分けが行われた。とは言っても、
ただ単に自己紹介をして中国語の勉強歴を聞いただけのものだった。
無論、生徒のレベルは不均衡で無理のあるクラスが出来た。
授業は翌日、朝8時から稼動。短期留学生は約50人ほどであり、
日本人の老人が約70%以上を占めていた。
最高年齢は82歳だったと思う。私のクラスは6人で2人が老人であった。

授業はその方たち中心に進んだ。先生が「言っていることが理解できますか」
という質問を投げかけるが、あの方たちには伝わっていないのか
無反応であった。それ以前に聞こえてないのでは・・・このクラスでの先行きを案じた。
3、4時間目を受け持つC先生は、本業は英語の先生なので英語を交えながら授業を進めた。
1日目は餃子の作り方を延々チャイムが鳴るまで行う。そこで使われた中国語は「餃子」と
「このように」だけである。後は餃子の食材を包丁で切るとことから鍋に入れて餃子が
浮いてくるところまで全て先生のすばらしいジェスチャーと英語、そして洗練された擬音語に
集約されていた。次の日は、'米'について、その次の日は'酒'について・・・。その後、
先生に「英語は使わないで欲しい」「授業の進度を速めて欲しい」と意志を伝えた。

こうして迎えた金曜日、C先生がなかなか来なかった。C先生は隣のクラスの1、2
時間目を受け持っている。生徒もろとも先生が不在!彼らは授業中に徒歩で片道
45分ほどかけて超市(スーパー)に行っていた。彼らは、授業時間が40分を過ぎて
帰って来るなり、行っていたところの解説を始めた。「supermarket!!」といきなり英語だった。
遅れたことに関して謝りもせず、「没関係!」(大丈夫、気にしなくて良いよ)と言い放ったものだから、
ついに我慢していた怒りは爆発してしまった。
こっちとしては、自分でバイトして貯めたお金をはたいて、
わざわざ中国語を勉強しに来たのに、ふざけるな!!である。「餃子」という単語ぐらいしっとるわ!!
中国人なら中国語使え!!とは言ってませんが、
先生に面と向かって「あなたは生徒に対して熱心じゃない!!」
と言って教室を出て行った。その足で、大学の事務所に抗議しに行った。その後私は問題児扱い。
韓国や中国において、先生は偉い存在であり、先生を敬う慣習があるためである。
その後、1、2時間目の担当教員から少々怒られた。
やりきれない思いで、暫く落ち込んだし、肩身の狭い思いもしたが、
不真面目な教師が偉いとは私は思わない。
先生と気まずくなった私は、一つレベルの高いクラスに移った。
このクラスは自分より遥かにレベルが高いと感じたが、放課後週二回の家庭教師をつけて、
一週間でようやく授業についていけるようになった。やっぱり意志を伝えて、よかったと思った。
次に、日本での生活では味わうことの出来ない、中国の生活を実体験に基づいて伝えようと思う。

涼しいと聞いていたハルピンは異常気象のため連日32度ぐらいまで上がっていて、
極寒の冬に耐え抜く2重窓は、どういうわけか私の部屋は一部しか開かず、
エアコンのない部屋で湧き出る汗をじっとこらえていた。日本から持っていった、4枚の長袖は最後の
7日だけに使用されるにとどまった。
黒龍江大学滞在3日目にして停電停水には驚いた。夜に備えてろうそくが3本支給された。
嬉しいことに「ろうそく」という中国語が覚えられた。中国に来て人間が発明した電気のすばらしさを
実感する羽目になるとは・・・。停水は自分の
家の水道をいくらひねっても水が出てこないことを想像したら一番分かりやすいが、事態はそう甘くなくて
トイレも流れないし、洗顔に歯磨き等等。バスタブで命の水をためた。水洗トイレの仕組みも学習できた。
生徒の中には一泊700元(約1万円)もはらって、市内のホテルに非難したものもいた。果物を買うのに、0,5
元(約6,5円)を値切っている私には、無関係の話である。
寮内の大半の部屋で毎晩、風呂、トイレ、洗面台周辺で、
ゴキブリの集会が催される。参加者は一回10匹以上で、日本のゴキブリよりは小さいが多数で気持ち悪い。
始め目撃した時は泣きそうになったが、一週間もすれば、スリッパで踏みまくっていた。
開ききらない2重窓を少し開けると、ベッドの上に無数の小さな虫が飛んで来たが、
そのうちに慣れてなんとも思わなくなっていた。
アフリカの少年少女たちが顔に止まったハエを払わない気持ちが少し理解できた。

あるときは、シャワーを浴びていると
水だけが出なくなり、熱湯のみが出てきて、風呂場で30分待ちぼうけを食らった。初めの内は何とかして
熱湯で頭髪についたシャンプーを流そうと努力した。そのために、皮膚が軽いやけどを負った。
皮膚が赤くなって、ヒリヒリした。何時このような『水ストップ現象』が起こるかなんて分からないから、
怖いのである。この'熱湯シャワー'を結局2回味わった。
中国の水は刺激がきつく、日本人にとっては万能の下剤となるが、服用に際しては病原体が体内に入る
危険性がある。歯磨きしてもうがいをしても嫌になるサビ風味仕立てである。
洗濯の基本は手洗い。洗濯機もあったので、私は10回35元のカードを購入した。始めの2階は成功したが、
3回目はすすぎの途中で終わった。結局、洗面台で手動式すすぎをした。糊を付けた訳でもないのに、
痛いぐらいのバリバイのシャツに仕上がった。また洗濯前は無かったしみ汚れがくっきりと付いて
仕上がった時もあった。このようにして何度となく、
すすぎと脱水能力を減じた全自動洗濯機と結局6回付き合うことになった。

週末を利用して、大学内の友達と3人で長春ヘ行った。汽車は初めてだったのでどきどきしたが、
根性さえあれば問題はない。行きは軟臥で行った。おじさんが意味不明の中国語で私たちのベッドに
座っていた。色々言われたが、私たちのベッドだからと強引に寝転んでかろうじて場所をキープした。
電車のトイレに戸は、あったが猛烈に不衛生だった。何事も経験である。ハルピンでも、
北京の観光地でも、戸がないとことが結構ある。中国で生活しようと思ったら、こういう
小さいことを一つ一つクリアーしていかなければならない。潔癖症の人は絶対暮らしていけないと思う。
長春で泊った3星ホテルでは、従業員がそうじに入ってきた時、私たちが居るのが気に入らなかったのか、
サービス、ティーバッグをテーブルに投げ、ベッドで横になっていた私をにらみ付けて部屋を出て行った。
サービス精神かけらも感じられなかったがこれがまかり通るのもまた中国である。
部屋にTVがあったが、まともに写るのは2局だけだった。中国のCMはなかなかく出来ていた。
中でも印象深いのが部屋中を抗菌するという一見清潔なイメージのCMだったが、
人民がすべきことは抗菌ではなくまず街にゴミを捨てる習慣を辞めることではないかと思った。
果物屋さんで試食した葡萄の皮を袋に入れて持ち帰ろうとした私に、道に捨てろ
と指導した店主はごく一般的な中国人である。汽車に乗っていても、窓の外はどうも人民にとっては
ゴミ箱らしい。食べかすに、ちり紙、何でもぽんぽん捨てていた。
おばあちゃんは孫に、窓の外に捨てるよう指導していた。普通の精神状態では耐えがたい光景であった。

ハルピンの料理屋で犬肉の鍋を食べた。肉の食感は毛糸って感じだった。味は
比較的牛肉に近かった。なかなか美味しかった。中国人の先生に犬を食べたと言うと、非常に驚かれて、
「普通の中国人は食べません。回族の人が食べるんです。」と言われた。中国人は『4つ足のものは
机以外何でも食べる』と思っていたが、そういう訳ではなかった。
大学の中に韓国料理屋さんがあって、そこでよく食事をした。値段は65円のビビンバをよく食べた。
日によって量も味も違うが脂っこくないのでよく食べた。
このビビンバには髪の毛や、石がよく入っていた。これを従業員に言ったところで、髪の毛を取って
くれる以外は、何もしてくれないので、結局、自分で取り除いて食べるしかない。
勿論中国式ナフキンは、トイレットペーパーである。
滞在10日が過ぎたころ、ビザが一日足りないことに気が付いた。すぐ大学の事務所の先生に聞きに行くと
ビザが延長すべきだと言われ、旅行社に不信感を持った。その日に旅行社に電話し、日本に帰国後、
領収書と引き換えに返金するという約束を取り付けた。頭がハゲそうに腹が立った。しかし、
帰国後領収書を送ると、旅行社側は、「延長の必要は無かった。」の一点張りである。
私が欲しいのは、お金では無い!!それよりもその時の精神的ストレスと不安を与えたことに関して、
誠意ある対応をして欲しかった。しかし、今となっては泣寝入りである。
「現場で起きていることは現場で解決せよ。」と
昨年西北大学を引率してトラブルが発生した時に杉田先生がおっしゃった言葉が甦った。

最後に、私がハルピンで友達に宛てた手紙から引用させて頂きます。私が滞在生活で感じた、
素直な感情がそこに込められていました。
> ・ 生きることは戦い
> ・ 自分の身は自分で守る
> ・ 朝令暮改
> ・ 絶対のない中国
> ・ 共存と孤独

また行きたい。中国依存症の佐々木より

----- Original Message -----
From: 川野
Sent: Monday, October 16, 2000 3:46 PM

夏休みを利用して、中国の上海−広州などを独り歩きしていました。これは、中国を旅して考えたこと、
思ったことを纏めようと思います。旅行社のパンフレットの悠久の中国なのか?はたまた
……その辺の判断は閲覧したあなたのものですよ。
最新の注意を払っていますが適切ではない表現もあるかもしれません。しかし、一個人の見方であることを
認識していただいて先へ進んでいただきたいと思います。それではどうぞ。
読むのが辛かったらプリントアウトして読んだ方がいいかもしれません。念のため。

8月29日大阪南港。今回は初めての船を使って中国へ渡航しました。フェリーターミナルには中国人よりも
日本人(特に学生っぽい人)が多く、今日日中国へ行くのになんで船なの?と突っ込まれかねないのですが、
中国への格安航空券というのが最低でも¥40000以上します。ちなみにこの時期は安くても¥60000
くらいします。さすがに市場開放なんてうたったところで、中国はまだまだ競争というのがないのでしょうか?
とにかく1円でも安くしたければ往復¥27000の船が一番ということになります。なんせ¥40000も
あればタイなんかに行けてしまう時代。なんでお隣の国に行くほうが高いの?なんていうおかしなはなしです。
ちなみに「¥」は日本円です。中国元ならえらいはなしです。ですが、経費削減か、船を使って
行き来している会社員の人もいました。
ですが今日日海外に出る中国人も飛行機を使うまで金持ちになったのだと思います。
船というものはやはり不思議な乗り物です。飛行機の欧米路線なら10数時間かかるのに
誰一人喋る人はいません。
ですが船は特に同じ船室の人とはなんだかんだいって喋ってしまうものです。これはどうしてなのでしょう?
やはり船に乗ってからふと思ったのですが、大阪−上海が50時間、
2泊3日の予定は、やはり時代に沿わないです。
航空貨物が伸びてきている最近。大手の航空会社は自前の貨物フリートを抱えていますが
やはり物流は船が圧倒的なのでしょう。ヒトとモノの流れなんかを思いながらゆっくりと、確実に
上海に向かって進んでいるようでした。
ですが、ここでとんでもないことがおきます。幸運にも上海に台風が上陸して、東シナ海は大シケです。
どうやら船はそれを回避するため、お客様に安全な航海を保証するために、上海到着が1日遅れますなんて
アナウンスが翌日にあり、かなりその航海に鉢合わせになったことを後悔しました。
そんな情報を公開するなよ
……とまぁ大シケの海をさ迷ったために
乗客の皆様はKOされていました。そこですることといえばお茶と煙草と酔い止め呑みながらアホ話に華を
咲かせているだけでした。そんななかでも船内のカラオケダンシングホールはきちんと時間通り
営業していたのが不思議なところです(笑)

船のメシもまずくて高いので日本で買っておいたカップ麺と缶詰の肉が日々の食卓でした。だってこれが
一番おいしいんだもん。なんて訳の分からない結論に達します。それを知ってか、行きしなはどれ一つと
レストランの飯を食うのですが、あまりのまずさに
帰りはほとんどの人が食ってませんでした。でも朝食はただだから食うんですよね(笑)中には
食ってもう一度並んで食うなんて輩もいたほどです。
まさに方々の態で上海港につきましたが、上海を正直ナメていました。その街の発展ぶりには
ただ呆然としているだけでした。浦東新区の高層ビル群にいまだに建設の続くそこを観ると確かアジアは
不景気なんじゃないの?というのはどこにも感じられません。それどころかその不景気をも飲み込むごとく
ビル建設の嵐です。一介の旅行者であり、
現地の正確な経済状態の数値など知るわけもないからかなり乱暴な結論なのですが、上海の発展は
もう東京、大阪のそれを通り越したのでは?とふと思います。船で一緒になった日本人留学生の話には、
金茂大厦と、地下鉄の2号線(通称横線らしい)をみて「去年こんなんなかったよな……」とにかく、
浦江新区の現代的なビル群の夜景を、
1世紀前のビル群のあるバンド(外灘)からうっとりと眺めていて、
古きも、新しきもなにもかもいっしょくたにして
そのまま発展していっている……というのが上海市だと思います。

次に友達(英語を教えるイギリス人)に会いに行くために鄭州へ。そこからバスで約3時間の平頂山
といわれるガイドブックにも載っていない超田舎町へ行くことになります。そこは何もなかったんで
死ぬほど暇でした。することは飯を食うことくらい。ついでに昼からビールなんてろくでもない
癖を身につけてしまいました(笑)

次に行ったところは広東最大の街、広州です。
駅に着いて外に出るとそこには異常なくらいの人間とタクシーがそこにいます。
ただでさえ疲れているところにこんなんを目にすると余計に疲れます。広州はぼくが知る限り
中国一混沌とした街ではないでしょうか。とにかく疲れる街です。ですがそこには北京などにはない
自由な空気があり、活気だけはあります。
とある食品市場には「食在広州」の言葉通りにいろんな食材がならべてありました。
とくに鶏は生きたまま売っていて、
その場で捌いているシーンも見受けられショッキングというよりも新鮮そのものでうまそう……。
これが生きるための食べるという人間の根本にあるものだな。とじっかんしました。ちなみに「食在広州」は
その言葉の前に「金積んだら」という言葉がその前に入ります。いいもの食いたきゃ金を積めというのは
世界共通というのが証明できるはずです。

広州は自由な空気はあるんですが、それは裏を返せばかなり不健全な空気も漂っているともいえます。
なにもヤバイことがあるとかいったわけではありません。とにかくそれは行って確かめてください。

最後に、厦門に行きました。ここは経済特区として、発展しているのかな?と思いきや、意外に
落ち着いた街です。厦門大学の付近には意外や意外。女の子向けのかわいい雑貨屋さんなんがあり、
若い人はみんなおしゃれをしていました。
海の方を眺めるともうそこには台湾の小島が見えています。そんなこともあるのでしょうか?厦門は
これまでの中国とは違った空気がありました。ここは上海、広州よりも一歩進んだ豊かさを手に
入れているのでしょうか?とにかく独特の空気はなんとも形容しがたいところがありました。

最後に上海に戻り、また船で神戸に帰ってきました。浦江飯店ドミには、日本語があり、しばらく日本語に
飢えていたぼくにとってはほっと安心できるところでした。 

この街の移動は主に列車でした。中国の列車は中国社会の縮図です。まず1等「軟」はお客様です。
高い料金を支払って頂いているのですから、露骨に至れり尽くせりのようです。料金も2等座席「硬座」の
約4倍という暴利です。とにかくぼくのような旅行者には縁の無い世界です。ということで必然的に
2等の乗客となるわけですが、2等寝台「硬臥」がかろうじて客の扱いを受けますが、所詮客は客。
そんな程度のものです。「硬座」は客ではなく、ただの人になります。指定券が取れて、席があるだけましでしょ。
といったものでしょうか?そして、「無座」という自由席券はもう人にもあらず。ただの荷物の扱いです。
当然席など座れるわけないので、そこら辺に新聞紙を敷いて座り込んだり寝たりと……
これが社会主義なのかい?と首をかしげざるを得ません。そう考えると日本は世界で
最も成功した社会主義国家なのでは?とおもいます。

列車の中では何もすることもなく、ただひたすら目的地に到着するのを待つばかり。
硬座ではつらい代わりの特典?で、
人民とのおしゃべりタイムといったオプションがつきます。
「どっからきたの」とか「何人?」といった類の簡単な話なのですが、
彼らの話しているのを聞くのは至難の業で、結局筆談になってしましました。
ここに来て自分の中国語のレベルの低さを
改めて実感して、旅行するくらいならいっそのこと「わっかりーませーん」のほうがいいかもしれません。
とにかく下手にできると必死に理解しようとするから知恵熱出るんです。

中国での列車の切符は買いにくい……というのは確かにそのとおりですが、
あらかじめ予定を立てて3日くらい前に
予約購入すればほぼ間違いなく希望のが手に入ります。
希望のが無くても何らかの指定券は手に入るでしょう。
聞いた話、中国人は当日に駅に行って切符を買うから、思ったように切符が手に入らないとのこと。
この話を聞いたときは呆れたというかなんというか……開いた口がふさがりませんでした。

中国の長距離移動は列車のほかにバスがありますが、あまりお勧めできません。
金を積んで「豪華」というバスに
乗ればいいのですが、安いのに乗ると悲惨の一言です。ぼくは安さに目が眩んで広州−厦門を120RMBと
いう寝台バスに乗ったのですが、まずバスがボロい!いきなり目の前でエンジンオイルをトコトコトコ……
と注いでいたりすると前途不安になりますが意外と頑丈なもので何とか走ってくれます。まぁそんな事は
覚悟の上ですが、その他に客引きしながら走るからがたがた揺れるは、クラクションプープー
鳴らすわでろくに眠れません。さらにトイレ休憩のタイミングがつかめないからいっそのこと飲まず食わずを
決意しました。18時間のなか口にしたのは少量のペプシコーラとライチ3粒……
着いたときはふらふらでした。

バスはやはり貧しい人間の足だと思います。その辺を見ると「衣食足りて礼節を知る」という言葉が
リアルに思い出されます。中国は「食」に関しては文句はないのですが、「衣」に関してはそれを
満たす事はまだまだできない国なんだなぁと思います。

そういったわけで、何が楽しいの?と聞かれても答えようのない旅だと思います。答えるなら、
一言、もう行って下さい。行ってみてきて下さい。それが一番分かると思います。

両替について。
中国銀行なら日本円の両替は現金、TC共にやってくれますが、身分証明をしたりとややこしいのです。
ですがここじゃないと人民元は両替できません。もしくわ闇両替になります。闇は万国共通犯罪です。
中国は特に闇レートと公定レートの差はありませんので捕まるとヤバイと思います。唯一のメリットは
お手軽といった程度のものでしょう。不思議と闇両替商は闇そのものが犯罪という意識は
まったくないようです。利用するしないは個人の自由といったところでしょう。

食事について。
よっぽど変なものに当たらない限りまずいということはないですが、日本人が
本当においしい中華を食べたいなら神戸か横浜が一番でしょう。笑っちゃいますが本当にそうなんです。

買い物について。
中国で買い物をするとぼったくられるといいます。中国には定価で物を売るという概念そのものは
ありません。大きなデパートなんかに行ったら話しは別ですが……お土産品を買うときには常に値段交渉が
必要になります。とはいってもぼくらが安くなったなぁ……とほくそえんでも向こうにしてみればやっぱりぼってます。
商売人を甘く見てはいけません。
とにかく何回もぼられてその国の物価指数を知って下さい。そのための授業料と思ってぼられましょう。

それではよい旅を。(川野より)

杉田俊明研究室
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